夜更けの海猫

どこでもないどこかにある、珈琲店の独り言

第6回:茶店の世界 [起承転結 承編]

書き始めてから4ヶ月経ってしまった

季節は終わりの季節

冬の匂いがする

 

読んでる者は皆無かと思うが

此処は墓場にも似た忘却の場所

インターネット上を漂うデブリの一つ

意味はありそうで、ない

無さそうで、ある

そんなところ

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「起承転結 承編」

 

町から街へ

Boys be ambicious.

-少年よ、大志を抱け-

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時を経て中学生になった私は

14歳の頃に家庭の事情というやつで

北の国の果てにほど近い町から、車で高速を駆け抜けても6時間以上かかってようやく辿り着く都会、S幌へと引っ越した

その街には何度も訪れてはいたが、生活するとなるとその街の姿形はまた違って見えてくる

自転車で安易に一周出来る小さな町から、地下鉄、バス、市電、タクシーが行き交う街へと、一気に行動範囲が急拡大したのだ

田舎から出てきたナイーブな転校生であった私だったが、どうにかこうにか遊び仲間も出来、放課後や休みの日は商店街や繁華街に僅かな小遣いを手に繰り出した

(余談であるが、転校を経験するまでは人間関係を0から始める事があんなにも難しく感じる-不得意・向いていない-とは思っていなかった)

 

緊張しながら初めて入る古着屋

小さい映画館に、どでかい映画館

さらには全盛期?のTS◯TAYAにG◯O

ローカルなレコードCDショップに楽器店、書店

セカン◯ストリートに、尖ってた頃のヴィ⚪︎ッジヴァンガード

倉庫みたいなリサイクルショップ、ド◯キ・ホーテ

PA◯COに◯越

そこら中にあるゲームセンターとカラオケ

お洒落すぎて近寄れない、なんか怪しい店

タピオカブーム前のひっそり営業してたタピオカ屋

郊外の大型ショッピングモールetc...

これらは生まれ育った町に無かった物

数え上げればキリがない

 

中心部の市立中学に通う仲間達は生粋のシティボーイ(北の国でS幌は超シティ)ばかりで

色んな場所や店に臆することなく当たり前のように行く姿に、遅れをとらないようにと

今思えば私は必死だったのかもしれないが

その情報と物量の洪水のような魅力に私はどんどん引き込まれ、何もかも吸収したかった

そういうお年頃である

(その後、勉学の方がどうなったのかは言うまでもない)

良くも悪くも、苦い事も含めて色々な事を経験したが

そこは割愛する

 

肝心の飲食店であるが、その頃はまだラーメンやマ◯ドナルド等に仲間と連れ立って行くだけで

喫茶店を始めとする茶店(カフェも含め)は、まだ当時の中学生には少しハードルが高かった

というより、茶店に行く目的や過ごし方が分からなかったと言った方がいいかもしれない

ス◯ーバックスは今よりもちょっと大人な感じだったので、入ろうと思ったことすらない

(初めて行ったときは類に漏れず緊張した)

 

ただ、街を歩けばS幌は喫茶店だらけであった

きれいに区画整理された街並みは

一つ角を曲がれば何かしらの喫茶店

地下街に降りればまた喫茶店

地下鉄の駅にも出入口直結の喫茶店

特にS幌の地下街は寒い冬を乗り越える為か

巨大な巣のようになっていて

そんな地下に珈琲専門店が多く入っていたものだから

歩けば必ずどこからか珈琲の香りがしてきたものだった

(古くからの店は今ではだいぶ減ってしまったが、その名残りはまだ感じられる、と思う)

 

店に入ったことが無くとも、その匂いや店構え、重厚で贅を凝らした気品のある独特の雰囲気は

私の頭に、次第に「日常」として刷り込まれていく

 

ひとりで喫茶店、珈琲店に入ったのはいつだったか

正確には覚えていないが

高校生になったばかりの頃だろうか

この頃から私は単独行動が急激に増え始めた

 

いつも遠目に眺めてた珈琲の香りが漂うムーディーな店(その時は喫茶店や珈琲店の区別など分からない)に意を決し

緊張しながら、想像以上に重い扉を開けてジャズが流れる薄暗い珈琲店に入った事は覚えていて、座った位置も覚えている

(何を飲んだか覚えてはいない)

お客さんも店員さんも会話のトーンが静か

自分が歩く音にすら気をつかう

そんな中、ひとりで席に座り

精一杯緊張してないフリをして全然緊張しながらも、少し大人になった気がした

 

カウンターが見える位置で

食器の擦れる音が聞こえる静かな店

静かに、けれど強烈な、イナズマ

心臓が静かに鼓動する

バチバチと身体を流れる何かしらのエネルギイ

こんな世界があるのか!

珈琲を頼めば入れるんだ、と

10代半ばの少年の頭に静かな革命が起きる

 

その店は後に分かるが、札幌市内(今は都内にも)に展開するM越屋珈琲というお店の系列店で

知らずもがな、ネルドリップコーヒーで提供する70年代後半から80年代に流行したフレンチスタイルの珈琲店とスタイリッシュなモダン建築を合わせた店で、JBL等の高級オーディオ機器でジャズが贅沢に流れているローカルコーヒーチェーン店として有名であった

 

そのM越屋珈琲と、後に私を形作る珈琲は偶然にも東京で少しだけ繋がる事となるのだが

それはまだ何年か先の話

その頃の自分にそんな話をしてみたらきっと驚くだろう

本当に人生は不思議なものだなと思う

 

かくして「喫茶店にひとりで行く」という妙な高揚感を覚えた私は

様々な店に行くようになる

といってもこの頃はまだ

珈琲の味など全く分からないし興味もそれほど無く

ブレンドとアメリカンの違いも分からない

主に珈琲と一緒に注文するパフェやケーキ、その空間で時間を過ごす事が目的だったように思う

それでも珈琲を頼んでいたのは大人ぶりたかったからか、

自分なりの「粋」な振る舞いだと思っていたからか

(クリームや砂糖は勿論入れてたが)

 

ひとたび、ひとりで静かな店に入ってしまえば

どんどん他のお店にも行くようになるものである

幼少期から青年期に至るまで、レンタルビデオ(DVD含め)店でたくさん観てきた映画やドラマ、あるいは小説、漫画の中のような煌めく世界が、

そこらかしこに現実に存在している

(いや、自分の妄想次第でどうにでも見えてくると言った方が正しいか)

現実のようで、現実離れしていて

 

そんな空気に触れ

後に上京するに至るまで

S幌で珈琲店、喫茶店、カフェ、パーラー

業態問わず

何かと「店」というものに足を運び

自分にも「何か」出来るのではないだろうかと考える

そういう「下地」として重要な場所になっていった

 

高校生〜大学生の頃は

ビデオカメラが好きだったので自主制作映画を作ろうとして喫茶で話し合ったり

(これはすぐポシャった)

バンド活動を始めたり

恋をしたり

 

ひとりで飲む珈琲

ふたりで飲む珈琲

あるいは3人か多くて4人

バンドメンバーで珈琲と煙草

 

それは

苦い思い出

酸っぱい思い出

甘い思い出

涙で塩っぱい思い出

そして必ず側には色んな珈琲があった

 

あの店によく行ったな

とか

あの店でフラれたなとか

今でもまだあったり

もう、無くなっていたり

 

そういった一見して関係のなかったような

珈琲と店を介した日々が

今に繋がっていたのだなと

改めて思う

 

事実

今、店を構成している全ては

我々(私だけでは勿論ない)のこれまでの全てである

置物一つにしても

延々と喋れるストーリーが一つ一つにある

何故、それが、そこに、ここにあるのか

全ては必然で

店を飾り付けるだけの為に来たモノではない

断じて違う

変えは効かないのだ

同じものなど何一つない(姿形は一緒でも)

例え100円+消費税の物だとしても

 

生まれてから今まで見て、聞いて、感じてきた事

その全てを持って来て店を構築している

(いつまでも発展途上かつ不完全ではあるが)

 

これからもガウディよろしく、

コツコツと少しずつ更新を続けていくことであろう

(店が存続する限り‥)

 

話が逸れたが

こうして私は、上京を決意する2011年まで

S幌の比較的、喫茶・珈琲専門店が多い土壌の元

意図せずも「店」という物に惹かれていったのである

 

ちなみに初めてのアルバイトはライブハウス

(私が働きたいなと思った珈琲店や喫茶店は学生不可が多く、実際何件か直談判するも、やんわり断られた)

 

バンドも泣かず飛ばずだったが

人前で何かを表現し、伝える事の難しさや楽しさ

賞レースで評価を下される厳しさ悔しさ

努力不足、未熟さ、才能への嫉妬、ブレる自分etc

 

辿り着いたのは大きな挫折

 

しかしこの経験は

今では珈琲作りに大いに役立っていて

音と味は似ている事に面白さを見出せているし

私は音楽が相変わらず好きだし

たまに楽器を手に遊ぶ

 

若い頃に思い描いた道はある時、突如として変化し

私を見知らぬ道へと促したが

それまでの何一つ欠けても

今の私はいないのだと思う

 

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[冷凍都市札幌情景]

 

さて

ここまでで「ネルドリップ」や「深煎り珈琲」は未だ登場しない

いや、S幌は今思えば「深煎り珈琲の国」だし

M越屋珈琲はネルドリップ抽出だったのだが

この時の私は知る由もない

 

私にとって次の革命が起きるのは

上京した2011年の後の2013年

 

書き終えるのがいつになるか分からないが

「転」でまた綴りたいと思う

 

ではまた

 

 

第5回:茶店の世界 [起承転結 起編]

茶店(ここでは純喫茶・珈琲店にフォーカスする)というのは

私にとって異世界である

いや、正しくは現実と非現実の間

狭間にある世界だ

無論、時は進んでいる

だが、止まってもいる

茶店で多くの時間を黙々と過ごした人ならば分かるかもしれない

どう過ごすかはその人次第だが

少なくとも私にとって茶店とはそういう特異点

または神聖な領域、場所である

そしてそれを求め続けている

見知らぬ町を訪れては、彷徨うのだ

腰を落ち着ける聖域を探して

 

初めて連れて行ってもらった喫茶店は

私が生まれ育ったオホーツク海にほど近い田舎町の

婦人用品店の2階にあった

「軽食・喫茶アイドル」だ

今はもう無い

 

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[この2階部分が喫茶店だった]

 

小学校低学年の時分、祖父に連れられて行った事を覚えている

夕暮れ時、2階へと続く白い階段を上ると

店内の淡い白熱灯の照明が

キラキラと、しかしゆっくりと滲むオレンジ色

それがガラス、ステンレス、店内の装飾に反射し全てを包み

暖かくもスッとした上品さを演出している

というのは朧げな記憶の中に残る喫茶店の面影で

実際の所、どういう内装の店だったかは定かではない

しかしその喫茶独特の「妖気」とも言える魅力に引き込まれたのは確かである

 

かき氷だったかもしれないし

パフェだったかもしれないが

とにかくガラスの器に入ったキラキラした物を食べた

それは子供向けに食べやすく配慮された物ではなく

大人が贅沢に食べ楽しむ為の物で、夕飯前の時間だし、何だかいけない事をしているような背徳感を覚えた

 

これがまず、茶店が日常とは少しズレた所にある特別な場所なのだ、という

自分にとっての認識の始まり

自ら頻繁に行くような事は叶わなく、少し背伸びをしなければならない場所であった

(単に甘い物が食べたければファミリーレストランやフードコートのような場所で子供には事足りていた ※90年代初頭の田舎者の感覚として)

 

当店も開店当初は

少しばかり緊張しながら、背伸びをして大人の真似をするような経験をして欲しいとの思いで

特に年齢制限は設けず、大人と同じ様に接し(お子様メニューは設けず)同じ物を召し上がって頂いていた

だが、時代は移ろい

純喫茶・珈琲店、ホテルのラウンジやダイニング、ファストフードチェーン店がまとめて「カフェ」と呼ばれるようになった頃から

喫茶の過ごし方というのは、私が極個人的に思い描いていた風景から気付けばだいぶ、遠ざかっていたようである

 

人々の生活スタイルの変化と、流行や外食の多様化、様々なのっぴきならない事情から苦渋の決断であったが

これまた極個人的に珈琲店の役割の一つと考える

「落ち着いて珈琲と何かしらをいただく」という場所に重きを置く事にしたのである

(元々私が修行していた珈琲店はそういった趣の珈琲店で、小さなお子様はお店に入れなかった)

 

今やカフェと呼ばれるものは溢れている

街を歩けば色とりどりの菓子、おしゃれな内装

そんな光景は最近の子供にとっては珍しくもないだろう

当初は当店も、連れられて来たお子さんが緊張しながら必要以上に静かに、ジュースと甘いものを食べにくそうに召し上がるという微笑ましい光景も何度か見た

だが、多くの人はもう茶店にそういった役割は求めていなかったようである

逆に昨今の他の「カフェ」との勝手の違いに、誤解や思惑のズレを与えてしまうものになってしまった

結果、現状お子様は「自分自身で意思の採択や判断を出来ると思われる10歳から」でお願いしている

(せめてもの「あがき」というか、入店を中高生以上にしなかったのは、やはり子供の内にこういった特異な珈琲店を体験してもらいたいと思ったからである)

 

そして少し話はズレるが、本来の純喫茶や珈琲店は1つの時代の終焉を迎えつつある

であるならば

ささやかながら、その時代の残り香を大事に抱え、見聞きし感じてきた余韻を、今一度小さなテーブルに並べてみるのも良いのではないかと思うのだ

それが今この時代に好き好んで珈琲店を営む役割ではないかと、次々に閉店していく名店の話を聞く度に強く思う

継承、というような大層な思いはない

当時の店々の雰囲気をそのまま再現する事も違う

だが、じんわりと滲み出るように、どこか時がズレているような茶店の「あの感じ」を

そういった領域を求めてやまない人々が

少ないとはいえ、しかし確実に、確かにいるであろうと思いながら店をやる

 

これが私の超個人的な原点である

肝心の珈琲店については「転」の機会に

次回は「承」

10代の喫茶体験とちょっと珈琲の話

 

ではでは

 

第4回:ポール・オースターと帽子の人 [後編]

「帽子の人」は気付けばそこに座っていた

まるで何年も自分の席だったかのように

極々、自然な佇まいで壁際の席に見事に収まっていた

 

私が自分たちの店を持つ以前は、東京の吉祥寺にあるMから始まる頭文字の老舗の珈琲店で働いていた

開店が1982年だから、今はもう創業42年目だろうか

たまたま店先に貼ってあった、スタッフ募集の貼り紙に吸い寄せられて働き始めた頃が2013年の5月で

その店の事はまたいつかの機会に綴りたいと思う

 

私が働き始めてどれぐらいのころだったか

いつから彼が店に来るようになったのかは正確には分からない、が

とにかく気付けば、大体同じ時間に来て、大体同じ席に座り、大体同じ物を頼み、年中同じ格好をして、燃焼速度も緩やかな煙草-アメリカンスピリットの黄箱-をゆっくりと吸いながら、壁際の奥にすっぽり収まるように「そこに居た」のだ

 

彼は黒いハットに黒いメガネ、無造作に髭を伸ばし、これまた無造作に長い髪を後ろで束ね

白いシャツに黒いズボン

(パンツと言うよりズボンという表現がしっくりくる)

そして黒い革靴を履いていた

いつも、大体同じ(たまに白いTシャツに黒猫が描かれたのを着てた)

 

そんな特徴的な毎週来る客人を

店の者たちが覚えない訳がなく、

次第に私と先輩は、そんな彼を「帽子の人」と呼ぶようになっていった

(お客さんを通称で呼ぶのは私と先輩だけ。マスターは基本的に、名を知らぬ人は「彼」だとか「彼女」だとかで呼称していた)

 

そんな「帽子の人」だが

ある日突然、カウンターデビューする

(この「カウンターデビュー」というのは、ずっと店に来ていて互いに認識はしているけれど、とくに会話をする機会が無かった店側と客人側が、たまたまカウンターしか空いてないタイミングで対面し、なんとなくフワッと会話が始まるという微笑ましい現象である。割と静かな店では「あるある」ではないだろうか)

 

その瞬間の詳細はあまり覚えていない

恐らく混雑していたタイミング、カウンターしか空いてなかったのであろう

カウンターの1番端、マスターが珈琲を淹れる場所の目の前の席

その店ではそこを「自分の席」と思っているお客さんが何人もいたが、不思議なことにそういった人達の来店が被る事は少ない

 

彼がその席に収まり、マスターが目の前にいれば

自然とどちらでもなく、会話が始まった

「いつも夜に来るけど、帰る前の一服?」とか、

そんなたわいもない、けれどあまり詮索するでもない、相手がどう答えても良いような軽い内容の会話だったと思う

それから、その時をきっかけに「帽子の人」とは少しずつ話をするようになり、私も横で洗い物をしながら時折り会話に交じるようになる

彼も飲食で働いてるということ、恋人を追いかけてヨーロッパまで行った話(どこの国だったかは失念)

本が好きで部屋が積まれた本で埋め尽くされている、とか

お客さんが他にいない時間、カウンター越しにたくさんの話をし、後に何のきっかけだったか、彼の本名も明らかとなったし、歳は当時の私より確か10個ぐらい上だった

 

彼には数年の間で色んな物を教えて貰った

私はその頃、飲食の文化を学んで行くうちに、カフェー(日本で最近の洋風な飲食店をまとめて定義する「カフェ」とはちょっとニュアンスが違う)という場に必ずといっていいほど溢れる音楽家や詩人、画家などを含めた文化全般を知る事が楽しく

クラシックは勿論(働いていたその店で流れるのはクラシックのCDとレコードのみ)、名曲喫茶やジャズ喫茶という日本喫茶文化独自の特殊な様式にも興味を持ち始めたり、古本屋に行ったり中古レコード店に行ったりと何でもかんでも吸収したい欲が尽きなかったので

彼がおススメする古いレコードや、国内の昔の詩集、海外の小説などは

内向的な私(若い時に自覚は無かったが)に驚くほどジャストフィットした

そして特に、国内外を問わず、古い詩人達の作品群は、まだ不安定で形容出来なかった自意識を肯定・魅了して止まなかった

この共鳴とも言える感覚は、映画でも度々感じていたが、詩や哲学的思想で震えたのは初めての事だったように思う

それらの本は、今では店のカウンターに置いてある

我が魂の書、である

(未だ様々な所から影響を受けつつ更新している)

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「魂の書たち」

 

そしてポール・オースターの「ムーン・パレス」

それを初めとした近代アメリカ文学との出会いは

「帽子の人」によってもたらされたのである

(ポール・オースターについては前編を参照)

 

私にとって紛れも無いキーパーソンとなった彼はその後

かくかくしかじかの複雑な事情で、ある日を境にパッタリと店に姿を現さなくなり

連絡先も知らぬ、ただの店と客人の関係はそこで途切れることとなる

 

少ない手がかりを元に、消息を辿ってみたい気持ちはいつもあるが

私の師(マスター)が言っていた「お客さんを追いかけちゃいけない」という言葉が

頭にストップをかけるのだ

それと、ほんの少しの人への臆病さ

 

今頃彼は、何処でどう生きているのだろうか

あいも変わらず、既に持っている好きな本を見つけては「かわいそうだから」と回収し、本に埋もれているかもしれない

 

生きるのに不器用で、純粋な人

絵画から何かの間違いで抜け出て来てしまった

幻のような

 

それが「帽子の人」だ

いつか、また

 

ではこの辺で

 

第3回:ポール・オースターと帽子の人 [前編]

アメリカの作家、ポール・オースターが先日亡くなった

 

彼の作品は多岐に渡り、私は全てを網羅している訳ではないが(熱心なファンの人がいたら申し訳ないぐらいの駄文を失礼)

アメリカ、ニューヨーク、ブルックリンの

陽の当たる部分ではなく、どちらかと言えばその影で、淡々と日々を暮らす人々や街の描写がとても好きだ

 

日本で例えるなら、東京の下町のなんて事のない場所の暮らしのような

そんな感じだろうか

 

しかし誰も気に止めない場所、誰しもに物語はある

奇妙な事や、偶然の重なり

見知らぬ人だけど、偶然同じ日に同じ行き先で何度も会ってしまうとか

そんなような些細な事を

至って真面目に、生活の延長線上にある、生きる事の本質に結びつけ、軽快さを感じさせつつも深妙に、言葉が綴られていく様は

まるで散歩しながら、目に映る物や人について喋り続ける人と一緒に街を練り歩くような感覚だ

(無論、これらの感想はポール・オースター作品のほぼ全てを翻訳してる柴田元幸氏の語り口がミラクルフィットしている事が凄いのだが、それはまた次の機会に)

 

さて、そんな中でも私が一番愛して止まない一冊がある

「ムーン・パレス」だ

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冒頭はこのように始まる

(以下本文冒頭から抜粋)

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「ムーン・パレス」
ポール・オースター著 柴田元幸訳

 

それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。
そのころ僕はまだひどく若かったが、未来というものが自分にあるとは思えなかった。
僕は危険な生き方をしてみたかった。
とことん行けるところまで自分を追いつめていって、行きついた先で何が起きるか見てみたかった。
結果的に、僕は破滅の一歩手前まで行った。
持ち金は少しずつゼロに近づいていった。
アパートも追い出され、路頭で暮らすことになった。
もしキティ・ウーという名の女の子がいなかったら、たぶん僕は餓死していただろう。
その少し前にキティと出会ったのはほんの偶然からだったが、僕はやがてその偶然を一種の中継地点と考えるようになった。
それを契機に、他人の心を通して自分を救う道が開けたのだ、と。
それがはじまりだった。
そのあとは、いろいろ奇妙なことが僕の身に起きた。
僕は車椅子の老人相手の仕事をはじめた。
僕は自分の父親が誰なのかを知った。
僕はユタからカリフォルニアまでの砂漠を歩いた。
もちろんそれは、もうずっと昔のことだ。
でもあのころのことは忘れていない。
それらの日々を、僕は自分の人生のはじまりとして記憶している。

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私はこの1ページ目を読んだ瞬間

あっという間に心を奪われてしまった

 

何か少しでも感じる物があれば、茶店で珈琲を飲みながら(愛煙家であれば煙草を嗜みながらも)

ちょっとした冒険に出てみてはいかがだろうか

 

いや、あるいは晴れた日の大きな公園で

木陰のベンチに座り

ページをめくるのが良いかもしれない

そのほうがきっといい

 

ところで、この「ムーン・パレス」を私に勧め

ポール・オースターを始めとして色々な物を教えてくれた

「帽子の人」との出会いを話そうと思ったのだが

それがまた長くなりそうなので、次回とする

 

ではまた

 

 

 

第2回:喫茶店とチェット・ベイカー [後編]

夕方近くの茶店

オレンジ色の白熱灯で照らされる、雑然としつつも独特の世界観が完成している店内

まばらなお客さんたちの談笑

そんな中、少し居心地のわるい(失礼)椅子に座り、テーブルの上の文庫本や新聞、雑誌等の読み物を、読んでるんだか読んでないんだか分からない顔でコーヒーをすすりながら聴くチェット・ベイカーは格別である

このご時世で恐縮だが、煙草の1〜3本でもあれば尚の事

(愛煙家たるもの、珈琲一杯で煙草は3本までが限度であろう ※尚、うちの店は残念ながら禁煙)

 

その日私は、新宿にいた

確か待ち合わせだったように思うが(今となっては定かではない)

約束の時間まで少しばかり間が出来たのだ

1〜2時間の自由

さて、どうしようか

こういう時、東京屈指の繁華街であてもなくウインドウショッピングも良いのかもしれない

私も場合によってはそうするだろう

しかし多くの場合、私は人混みに踏み潰されそうになるメンタルの持ち主なので、とにかくまず避難先を探すことにするのだ

全国どこでも見つけられる避難先、喫茶店

 

私が上京した頃には、すでに文明の利器スマートフォンが台頭し始めていたので

土地勘の無い者であれど、テクノロジーを駆使すれば、おびただしい数の店がひしめくコンクリートジャングルでも避難先をいくつか見つける事が出来、

その中でも一段と際立っていたAという店に私は向かう事にした

 

その店にはどうやら猫がいるらしい

駅から少し離れてはいたが、他に行かない理由が無かった

 

人の流れを読みながら足早にスタコラと人にぶつからないように歩き

歌舞伎町を横目に二丁目までたどり着く

まだ午後の歌舞伎町界隈は、本来の姿はこれからというような閑散とした路地

年季の入った建物が隙間無く寄り添い、支え合うようにしてくっ付いている

場所はもうすぐそこのはず、1つまた路地が見えたのでそこに入ると喫茶店らしきものが見えた、と同時に何か聞こえてきた

店に近づく程それは大きくなり、店の目の前に着いた瞬間に私は思わずニヤリとした

 

チェット・ベイカー

That Old Feeling

 

もはや建物の一部となった店前の販促用ベンチや

スパゲティの食品サンプルが雑然と置いてある店先の、何故か外に付けられたスピーカーからチェット・ベイカーが流れていたのだ

これは当たりだなあ、と

話のネタにする事を考えながら私は扉を開ける

するとそこには情報量の多い、なんてもんじゃない程の空間が構築、完成されていた

詳細は省くが、これぞ喫茶店の醍醐味といった感じか

(ちなみに猫さんは遠くで眠ってらした)

 

そして着席、オーダーして一息つくと

耳に入るはBGM

チェット・ベイカーだ

しかも、外で流れてるのと違う曲だ

 

店の外もチェット・ベイカー

店の中もチェット・ベイカー

エンドレス、チェット・ベイカー

思わずまたニマリ、とする

 

太陽が低くなりかけた午後

私はそこでコーヒーを頂き

遠くの猫の丸いフォルムを眺めながら

煙草を3本ほどつまみ

延々とリピート再生されるチェット・ベイカーの

CHET BAKER SINGSというアルバムを1週半ぐらい聴かされ続け

ただただ、その魔力的なエネルギーに溢れる異世界に身を預けて過ごした

(私は後日、その話を半信半疑の彼女を連れてもう一度行く機会があったのだが、流れてたのは結局チェット・ベイカーだけだったな、という記憶しかない)

 

喫茶店に行くと、結構な確率でBGMとして聞こえてくる

チェット・ベイカーだが

私はあの店の事を

いつまでも思い出す

そして、うちの店でも

よく流れているのは言うまでもなく

夕方、閉店間際

優しい歌声と柔らかなトランペット

どこでもないどこかで

珈琲をすするだけの時間

そんな瞬間が

誰かの記憶に残ったりするのだろうか、

などと思ったりする

 

その後、そのお店はSNSの投稿ブーム到来により

一躍有名になり、度々メディアで目にする機会も増えたが

今現在、店のBGMがどうなっているかは

いつかまた、自分の身を持って確かめたいと思っている

 

さて

2回に渡って長くなってしまったが

私がお伝えしたいのは

チェット・ベイカーはジャズに詳しくなくても、ジャズの入口として本当にオススメ、ということ

 

チェット・ベイカーのベストアルバム的なCHET BAKER SINGS

 

ご興味が少しでもあれば、是非に

 

ではまた

 

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初めて買った中古のジャズはボロボロになっても愛おしいもの

 

 

 

 

第1回:喫茶店とチェット・ベイカー [前編]

喫茶店とジャズは何故相性が良いのだろうか

 

というのも

私の師は、口癖のように

「喫茶店はジャズを流したほうが(お客が)入るし回転するんだよ」

とよく言っていた

そのマスターの店はその世界観故に、開店当初からクラシックしか流さないので、少し皮肉を含んだ口調で

「クラシックはお客が動かなくなっちゃうんだよな」

とか

そんなような事を、店が暇な時に良く口にしていた

 

往年のジャズ奏者達も

コーヒー片手に、はたまたピアノの上に置いて

ティータイムを嗜んでいる写真がいくつもある

それは紅茶も勿論のことで

コーヒーやティーの歌もいくつかあるし

ペギー・リーにいたっては

「Black Coffee」というモカエキスプレスがジャケットに写っている名盤まである

 

紅茶よりもコーヒーがアメリカ文化と密接なのは

言うまでもないのだけど

ジャズにおいては特にそれが目立つ気がするのは

私が珈琲を職にしているからであろうか

 

とはいえ

こんな疑問は本腰を入れて調べれば

今の時代いくらでも拾えてしまうのだろう

しかしここに書きたい事は

豆知識や雑学などではなく

ただ「こういうのって面白いよなあ」

という何の発展性も無い、その瞬間だけの衝動、所謂ただの独り言である

 

喫茶店とジャズが

私の中で輪郭を現したのは

十数年前、もはやどんな店だったのかも覚えてもいない喫茶店

お茶の合間、耳に入るBGM

繊細でハスキー、そして甘く、でも少し控えめな、なんとも絶妙なボーカルが耳についた

ジャズというものはフワッと知っていたが

インストゥルメンタルでテクニック重視ばかりで小難しそう

とか

ビッグバンドのような派手な印象しかなかった

なので

好んで聞くどころか一枚も持っていなかったし、ロックやパンクばかり聴いていた

そんな二十歳そこそこの頃である

 

店内のスピーカーからちょうど良く聞こえる音楽

その歌声と音が妙に耳に気持ち良く入ってきたものだから、私は当時使っていた第1世代のiPhoneでこれまた当時最先端だった音楽認識アプリを使った(確か、そうだった、はず)

 

Chet Baker - but not for me

 

チェット?ベイカー?

それが出てきたとき、私は衝撃を受けた

ハスキーで気怠い甘さを含んだ歌声はすっかり女性だと思い込んでいたからである

ジャズのイメージとして

快活でスウィンギンなボーカル像しか持っていなかった私にとって、それは衝撃だったのである

(後になって某アニメの影響で知っていたFly Me To The Moonなどもジャズスタンダードだったのかよと、知る)

まして男性ボーカルはシナトラのようなイメージしか持ち合わせていなかったので

こんなにアンニュイで、繊細で、どちらかと言えば内向的なジャズの世界があったのかと、脳天を直撃したのだった

 

私はその後自宅で、まだ動画や音楽のアップローダー的な意味合いが強かったYouTubeにアクセスし

チェットベイカーと検索

中古のCDを買うまでに至る

ここまでが私とジャズのファーストコンタクトであり

その後、チェット・ベイカーを始めとして

ボーカルジャズを中心に世界は広がり、ジャズの魅力にハマって行くのだった

 

長くなったので今日はここまで

 

ではまた